IKOIKOSOGAWA代表の紹介
IKOIKOSOGAWA(イコイコソーガワ)の代表紹介とメッセージです。ぜひご覧ください。
安村 達弥
Tatsuya Yasumura
生年月日:1980年12月24日
出身地:富山市総曲輪
生育地:富山市総曲輪➡東京都品川区➡富山市総曲輪➡富山市内
趣味:写真撮影、鉄道全般(撮影、旅行、歴史、ジャーナリズム)、国内旅行(主に鉄道で)、ラーメン(特に家系)、温泉紀行、ボウリング、お笑い(漫才ネタを作成しています、また、人を笑わせる)、病気全般や神経・発達障害の情報収集、音楽鑑賞(ロック、ポップス、ジャズ、クラシック、テクノ・・・などいろいろ)
特技・資格:中型自動車免許、普通自動二輪免許、弓道初段、空手道初段、書道二段、日本語ワープロ検定準2級、表計算検定準2級、実用英語技能検定準2級 など
抱えている病気:双極性障害、線維筋痛症、潰瘍性大腸炎、クリッペルトレノネーウェーバー症候群 など
自称:左利きHSPアスペルガーライトワーカー
MBTI診断:INFJ
信念:「希望を捨てるな、自分を信じろ、そして諦めるな。」
従事していたボランティア団体・・・まるごとTOYAMA(富山応援隊) ※2023年04月~2024年06月ころ、活動内容の写真撮影を担当。富山駅前や、様々な海水浴場、KOKOくろべ付近や三井アウトレットパーク小矢部付近、富山城址公園を会場としたスポGOMIなどの清掃活動や、高岡テクノドームや富山駅での活動紹介 などでの写真撮影を担当。
IKOIKOSOGAWA代表の高校生時代

●算数・漢字・英単語を覚えるのが得意・・・2歳の時に漢字を書いたり、3歳の時に九九を言えたりができたとか。4歳の時に九九をマスター。左利きのせいか、物事を論理や言語ではなく、イメージ・感覚で覚えたり考えたりするほうです。ちなみに手首から先だと右利きです。
●小学校時代からファミコンで遊んでばかり。スーパーファミコンなどのRPG(とりわけファイナルファンタジーが大好きでした)に熱中し、時間をかけまくって遊んでいました。中学校では少年マガジンのマンガ「特攻(ぶっこみ)の拓」などが好きで、グレて居ました。
●文章・長文読解など、活字が苦手。イメージや感覚で本を読むので、字の羅列にしか感じないです。そのため、日本語も英語も下手くそ。歴史も大の苦手です。
●高校の時は弓道部に所属。放課後は教室の清掃や日直などを、ほぼすべて行わず、友達もクラスにおらず、土日祝含め毎日部活に打ち込んでいました。
●四国’98総体(1998年全国高校総体・弓道競技)個人出場・団体ベスト16 、北信越高校総体弓道競技(1998年)団体優勝 、他個人として富山県民体育大会、富山市民体育大会、北陸三県弓道大会などに入賞多数、団体においても春季大会などで入賞。卒業時、富山第一高校より優秀生徒として表彰。
写真:四国’98総体 愛媛県総合運動公園にて

・・・だったのですが、実は3年次から不登校になり卒業が危ぶまれた過去があります。いわゆるノイローゼです。ほぼほぼ授業に出ず、大学からのスカウトも蹴るようにいわれ、そして欠席数の多さなどから推薦も不可、勉強もせず・・・で卒業したのでした。
1998年8月に愛媛から帰ってきて、学校に報告に行った時から世界がひっくり返ったようになります。先生方からは「なんで授業出んがよ!」「教科書ここから全部ノートに書いてこい!(日本史、約60ページ)」「お前学校卒業できんぞ!」・・・そして夏の甲子園を見ていた時に、横浜高校の松坂大輔に衝撃を受けました。同じ高校三年生で、全国大会でもって、この注目度の高さとプレッシャーをはねのける精神力、自分の愚かさをひしひしと感じたものでした。
写真:四国’98総体 愛媛県総合運動公園にて
IKOIKOSOGAWA代表の学生時代

東京の大学に行くと、品川区に定住。 2年生の終わりまで体育会系空手道部(松濤館)。 3年生になってからJR山手線大崎駅の近くにあるスーパーでアルバイト(レジ係)。
2001年、品川区の、とあるラーメン店にて激震。家系ラーメンが好きになったのでした。誰かさんじゃないけど、ビビッと来たんですね。
2002年、4年生になり就職も決まり、夏休みに15日かけて日本をぐるりと旅しました。2002年8月01日、家から品川駅まで歩き、羽田空港から福岡空港へ飛び、翌日から「青春18きっぷ」のみでJR線を博多~広島~大阪~福知山~敦賀~米原~岐阜~富山(数日滞在)~新潟~秋田~青森~仙台~品川~大崎 の順で一筆書きで移動。途中は日本三景や竜飛崎、平泉なども立ち寄りましたし、青森付近では大雨で予定が大きく狂いました。秋田では野宿、八戸では列車内で寝させてもらいました。
「家を出たからには、家に帰るまでが旅だ。」と意気込んで出ていった15日目、仙台からお土産をもって東北線をひたすら南下、上野で山手線に乗り、バイト先の大崎へ。「お土産を渡して、家に帰ろう。」と大崎駅前のバイト先スーパーに立ち寄った時に言われたのは・・・
(キレ気味)『安村くん、今日忙しいからシフト入ってくんない?』
「・・・はい。」
15日間の旅の最後は、アルバイトだった(笑)
写真:2002年8月4日 大阪道頓堀の「くいだおれ太郎」と記念撮影(宝塚に住んでいた弓道部の後輩撮影)

バイトの帰りに毎日のように家系ラーメン店に通い顔を覚えられる(当時は家系ラーメンの認知度はほぼゼロ)。注文全てが口頭で行われる高回転のすごいお店でした。それからはラーメン好きになっています。
IKOIKOSOGAWA代表が社会人になってから
人と話すのが苦手なのと、スーパーで培った接客能力を小売業で磨こうと、2003年に東京の家電量販店入社、神奈川県川崎市の店舗のカメラ総合チーム所属、2004年修理コーナー兼任。
チームの先輩方も鉄道と旅とカメラが好きで、一緒にどこか行くことが多かったです。家電量販店ならではの苦情は多く、チームで解決する時が多かったです。みんなが戦友といった感じでした。
写真:社会人になってから鉄道の写真を始めたころ、群馬県の鉄道施設にて

入社一年目に店舗の引っ越しがあった2004年2月中旬~3月中旬の29日間で前出残業抜きで301時間勤務、給料が手取りで40万円ほど出たが、チーム責任者の月給はその半分だった。因みに責任者は連続29日勤務、8~23時半。そんな企業におりました。
フィルムカメラと交換レンズ、写真用品、家電製品の修理受付・お渡しなどをしていたため、実はデジタルカメラにはあまり詳しくありません(特にRAW現像)。
写真:箱根で鉄道撮影の合間にカメラ売り場の先輩を撮影したもの
IKOIKOSOGAWA代表が病に罹ってから

2006年の夏、25歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されました。当時は認知度がかなり低く、医療的にも進歩はありませんでした。お医者様には、薬で抑えられるとは言われたのですが・・・
2007年の夏に病気が悪化、半月療養、1か月入院、半月療養。中等症でした。
入院してすぐに始まった絶食の10日間で体重が61➜56kgに。足が動かなくなり、内科の病棟は高齢者、とりわけ認知症の患者が多く、精神状態も悪化したのでした。8月下旬、24時間テレビで欽ちゃんがマラソンランナーで、ゴールするあたりからわけもなく泣いていたのでした。
仕事に復帰するも、体調や精神のバランスが取れなくなり、2008年1月退社。
退社後に行った過酷な旅に「品川(東京都港区)~小倉(福岡県北九州市)」を一日かけて青春18きっぷで移動する、というものがあり、朝4:00自宅を出発、4:35品川始発熱海行きでスタート、24:04に小倉に到着するというものでした。小倉駅の駅舎の外側にマンガ喫茶があるので、そこで朝まで休む計画だったので行ってみたら「改装工事中」で使用できず・・・外は土砂降りの雨、歩き回って見つけたカプセルホテルに行くのですが、のどが痛く、風邪をひいていることが判明、地獄は続くのでした。
写真:門司駅にて、寝台特急「はやぶさ」号の機関車付け替えシーン

その後、大田区の学習塾や新宿区の男性アイドルグッズ会社や江戸川区の倉庫会社や中央区日本橋の乾物会社や台東区の鉄道系ビジネスホテル会社や・・・仕事に定着できず、精神消耗が激しいことがわかり、療養していましたが2011年3月東日本大震災。
飲食料が無く、暗いCMばかり流れる絶望的雰囲気のなか、富山に時々戻ってきていました。都会の雑踏もいいのですが、のんびりと時間が流れ、街のみんなも大いなる自然もおいしい食べ物も、すべて自分を迎えてくれそうで、2011年10月末に戻ってきたのでした。
写真:2011年、最後の旅に選んだ北海道・室蘭線「黄金駅」にて
IKOIKOSOGAWA代表が帰郷してから

帰郷してからは・・・ 富山県立中央病院に通いつつ、まともに仕事ができない状態にまで陥り、就労継続支援事業所や就労移行支援事業所、ビジネスホテルの清掃、家電量販店の倉庫担当などをやりましたが、2022年「線維筋痛症」を罹患。
さらに、偶然Yahoo!の記事で見つけた先天性の難病が自分にもあることがわかり、まともに働ける状況ではなくなります。 正直、死を覚悟しています。
なぜ人は生きるのだろう?と考えたとき、それは何かを残すために生きるのだろうと感じます。伝承ということです。 であれば、街への恩返しが妥当かなと思いました。
IKOIKOSOGAWA代表がボランティアを始めたきっかけ

自分の生まれた街・総曲輪の街を1895年からずっと守り続けてくれた人たち、そして何より街、仕事、家族を守ってくれた祖母への恩返しや奉公が必要なのではと。
この街は沢山の人の存在があってこそ成り立つ。であれば、この街の最終形態は「憩いの場」なのでは?
と、ボランティアを始めるのでした。
信条の一つに、「笑われて死ぬより、笑わせて死ぬほうがいい」というのがあります。 これは、「笑顔」が全世界のすべての人にとって「平和」「安心」「喜楽」を表すものだと思っているからです。
赤ちゃんだってできる笑顔なのですから、誰もが分かり合える最強のボディランゲージが「笑顔」だと思っています。 笑顔が集まるその場所が「憩いの場」と信じ、今日も行動しています。
IKOIKOSOGAWAで考えることで、総曲輪の街には「個性」があります。
「個性」と「笑顔」を結びつけるのが最初の課題と考えています。「個性」がサクラの木なら、「笑顔」はサクラの花びら。
サクラの木があるだけでは人は寄ってきません。桜が満開になると人が集まってくるように、たくさんの「笑顔」が街に生まれるように、イベントの撮影を行い、その写真を自分と主催者、出店者が共有するというところから取り組みを始めました。
IKOIKOSOGAWA代表からのお願い
IKOIKOSOGAWA代表からのお願いです。
どうか皆さまのお力添えをお願いしたいです。
複数の難病・障害に苦しんでいますが、何事にも負けぬよう闘ってまいります。
そして、生まれてから一度も感謝することができず、街を、仕事を、家族を守ってくれ、東京一年目の冬に亡くなった祖母への恩返しができるようにしたいと思います。
※現在ですが、病気のための測定をした結果、握力はもう一桁しかありません。力もうまく出せず、記憶障害や、悪夢障害、強いこわばり、猛烈な倦怠感などがあるため、なるべくデスクワークにて活動するようにしております。ただし、イベントの撮影はちょくちょく参加しますので、会場でお見かけの際はお声がけいただけると幸いですし、とても嬉しいです。そしてボランティアスタッフも募集しております。
ボランティアスタッフ募集につきましては、「総曲輪界隈ボランティア活動の概要」からまずお読みください。
どうかよろしくお願いします。
代表が書き上げたフィロソフィーをお読みになりたい場合はこちらから(安村フィロソフィー)
また、IKOIKOSOGAWAでは販売部門「アロープロダクツ」も行い、売り上げの半分をボランティア活動の費用に充てています。ページだけでもご覧ください。
➡アロープロダクツ本店(鉄道写真、富山の風景写真、漫才ネタを扱っています:当サイト内の該当ページに遷移します)
➡アロープロダクツSTORES支店(お試し無料商品を含む鉄道写真と、漫才ネタを扱っています:STORESの該当ページへ遷移します)


ほか、IKOIKOSOGAWAについてご覧になりたいことは上部メニューからお進みください。イベントの事、イベントで撮影した様子の写真、また、総曲輪で憩うのに便利なメニューを各種用意しております。
