「公共交通」が街を、地方を、人を守ると訴えたい
僕が今、IKOIKOSOGAWAホームページで「公共交通で総曲輪へ行こう!」(ページタイトルは「もっと自由に!もっと楽しく!公共交通で巡る総曲輪界隈ガイド」)を載せているのか?を説明します。僕の中で、これまで利用してきた公共交通ではいろいろなドラマがありました。その話題は、皆さまも共感されることもあるでしょうし、不快になることもあるかもしれません。すべての人に「公共交通を使って!」というものではありません。「方針転換しないと、待ち受けるのは厳しい未来」ということを、ぜひ知っていただきたいのです。
僕の中で、「電車」というと「市電」が始まりだった
まだ小さい頃、車でもなく、自転車でもなく、「出かけるときの公共交通」はバスと「市電」でした。そして、本数も多かったですね。「市電」のこども運賃は「80円」でした。総曲輪からなら、市電のエリアは(当時は環状線と富山港線はありませんでした)健康な方なら、そして小さな子供でなければ、歩いていける距離です。僕にとって、「市電」というのは「冒険のツール」みたいなものでした。プラモデル屋さんに行って、「ミニ四駆」を買いに行った時も、富山駅前のユニーに行くときも、市電にはよくお世話になりました。富山市内からは出ることが無いので、一般の鉄道線は使うことはほぼありませんでした。
東京に出ると、「公共交通」が頼みの綱になった
東京は人口密度も異常に高く、様々な鉄道線が複雑な路線図になっており、朝の電車はまさに異常そのもの。でも、満員電車でも乗り方を覚えたからいいんですが・・・。ドアから入った瞬間後ろを向いて(ホームの方を見て)、「おしくらまんじゅう」をするのです。押したもの勝ち。でも、後続の人もそれをやるため、できるだけドアの付近にいるようにしましたけども。
しかし、鉄道好きな僕にとっては、路線図を覚えるのは速かったです。地理の授業を一人で行っているような感じで、覚えていきましたね。そして、乗り換えなし、いや、一回でも乗り換えがあれば日本の至る所に行ける鉄道のネットワークはすさまじいものがあると、も体感したのでした。
2003年になると、社会人となり電車通勤。朝7:20の電車に乗って、帰りの電車は23:47。その間ずっと仕事で、寝るだけの休日もありましたが、カメラを購入したこともあり、その鉄道のネットワークを活かし、日本各地を旅するようになりました。2025年までに行ったことが無いのは「島根」「宮崎」「鹿児島」「沖縄」までになりました。
仕事でも、遊びやお買い物でも、そして旅行でも。東京では鉄道が無いと、生活できないことが分かったものです。
そして訪れた「3.11」
病気が酷く、生きる気力もない僕がもっと生きる気力を失ったのは、「3.11」でした。あの時、僕は川崎(最初の会社は川崎勤務だった)にいたのですが、地震の影響で鉄道では帰れなくなった。自宅まで歩けない距離でもないが、かといって途中で何か起きるかわからない。唯一残っていた手段は「路線バス」。東急バスの、「川崎発五反田行き」でした。30分待ち乗車、2時間かけて五反田へ、そして歩いて帰宅。途中で嫌なこともありました。わがままな奴がいてね。途中のバス停で列を乱し、文句ばかり言うやつ。こんな緊急事態のときにあまりにも不愉快だからいろいろ怒鳴ったら黙り込みましたよ。
そして帰宅して分かったのは、「徒歩で帰宅」「バスで帰宅」「レンタカーで帰宅」「タクシーで帰宅」「レンタサイクルで帰宅」などの人が異常に多く、そしてそのすべての人が「帰宅難民」になりうるということでした。「移動できる条件」から、「鉄道」が除外されただけで、ここまでひどくなる。鉄道はただの移動手段ではないということが分かったんです。
富山へ帰郷、そして分かった「不便」
3.11の後は、飲食料難があったことなどで、時々総曲輪の実家に帰宅していました。ただ、薬の処方で最大2週間まででしたが、仕事ができない身。何度か帰るうちに、その自然と街並み、ご近所の方々・・・帰ってくるのを待っているようで、2011年10月末に富山に帰ってきたんです。
病気で、そして金欠であちこち行こう、とか、あれこれ食べよう、また、あれこれ買おう、と言うのはできませんでしたが、「街並みが変わっていた」のは、実はかなりショックでした。小学校へ通うとき必ず通った大手モールには市電の鉄道があり、知らない施設があったり、閉店している店があったり・・・かといって、他のエリアへ行くのに鉄道もバスもかなり縮小しており、唯一残った趣味「鉄道で出かけて写真を撮る」もなんだか物足りなさを感じました。よく行っていたのは「入善町」で、自然が多く、そして長閑。ここまでやってくると、車が無いと移動は大変。自分の足で歩いたから楽しみもどこに何があるかもわかりましたが、お買い物や遊びなど娯楽、駅までの手段はクルマが無いと無理だろう、と感じたのです。
自家用車の「便利」が増えれば「公共交通」の「不便」は増していく
「富山なんかクルマあればどこでも行けるじゃん!」と言う人を見かけます。では、考えてください。あなたがクルマを運転中、対向車線のクルマが突っ込んできて事故に遭った。あなたは右足の骨が砕けに砕け、切断を余儀なくされた。質問します。明日からどうやって移動しますか?
そのような事故で負った障がいや、高齢に伴う運転能力の喪失があれば、車は運転などできません。そしてこれから急激に増えていくのは「高齢に伴う運転能力の喪失」です。でも、免許返納したり、クルマを降りる、と言うことをしない頑固な人は多いんですよね。僕は家族でもなんでもないから知ったことではないですが、高齢ドライバーが次々と誤操作?の運転で人をはねたり、建物にぶつかったり、で、何人も死なせてる。ニュースになる度に、「またかよ」と思う人も多いのではないでしょうか。でも、その先の現実を知らないですよね。「逆ギレする高齢ドライバー」「言い訳しかしない高齢ドライバー」、そして家族が負わされる、遺族への一生の責任。まさに「限界突破ドライバー」です。「なにかを7つ集めて、被害者を生き返らせればいいじゃん!」って、さっきの「クルマあればどこでも行けるじゃん!」みたいなノリで言うんですか?生き返らせる、そんなことは不可能です。それでも「限界突破」し続けるのは、そこにある「便利」の「賜物」なのでしょう。つまりは、その賜物が、すでに障がいなり、免許返納なりでバスや鉄道を使っている人たちを苦しめ続けてる、というのが現状です。
実は富山市の市電は「軌道線事業」で営業利益率が全国トップ
話が急に変わりますが、富山市の市内電車(軌道線)は、全国の軌道線事業(鉄道会社で、路面電車を営業している事業)ではなんと「全国トップ」の営業利益率を誇ります。「えっ、そんな乗客が多いなら公共交通云々言わなくていいんじゃない?」と思うかもしれませんが、乗客の内訳で多いのは「定期券所有者」です。つまりは、通勤通学での利用者。特に、富山市の市内電車の沿線には多数の高校があります。その通学にも市内電車は一役買っているのです。
さきほど、「障がい者」や「高齢者」の話をしたと思います。公共交通を利用するもう一つのグループとして「通学者」を挙げなくてはいけませんね。「通学者」はクルマの免許すら持てません。だからどこへ行くにも自分の足。「公共交通が不便だ」というリアルを知るということは、「都会の便利な公共交通」「地方の便利なクルマ」のどちらかを選択するでしょう。しかし若い人は、「富山には出会いが無い」「富山にはスリルが無い(悪い意味ではなくて)」などの理由をつけて、富山から出て行ってしまいます。たとえそれが進学だからだとしても、戻ってくることは少ないですね。それなら、確かに人口流出があってもおかしくないですよね。
「富山市の市内電車」は「利益率がいい」と言いました。それは確かなことですが、他の「鉄道線(本線や立山線など)」「路線バス・高速バス」の事業は信じられないくらい赤字です。企業ではなくてこれが一人の人間だとしたら、「少ない年金はあるけど病院やら介護やらで出費が多すぎて困っている高齢者」と何ら変わりはありません。
「軌道線事業」は好調でも、企業全体でみると「もう死にそう」と何ら変わりないんです。
こうなることくらいわかっていたよね?
「クルマを使う」ことが悪いのではありません。60年代の「モータリゼーション」が全ての元凶です。誰でも自家用車、の時代になってから住宅の郊外化は始まり、そしてその生活道路沿いに大型店舗(ロードサイド店)ができ、そしてまた郊外へと・・・。その分、自治体は道路を作り、水道管を埋め、そしてそれを維持する・・・とんでもない財政負担です。そして住宅が分かれていけば、路線バスが全てのエリアを回るのは困難になる。この時点で、こういう未来が訪れることくらいわかっていたことでしょう。でも、「クルマ社会」ってなかなか無くらないですよ。だって、日本の大産業が自家用車で、かつ、公安はどんな事情でも市民にクルマを走らせるのが使命。なぜかというと、それが彼らの税金での収入源だからです。考えてみて下さい、「春の全国交通安全運動」。ニュースで、出発式と言い数多くのパトカーやバイクを街に走らせて、取り締まりや威圧?を行う。それは「交通安全のため」ですよね。では聞きたい。「なぜ毎日やらない?」。安全が大事だというなら、「交通安全運動」じゃない日は「安全じゃなくていいよ」ということですよね。それをやらないのも簡単で、走らせておけば税金収入ガッポリだからです。だから、税金を何倍に上げても、クルマには走ってほしいのがこの国のお願いなんです。
試しに、公共交通を使ってみませんか?
むかし、何かの番組で見たのですが、東京のタクシードライバーの一日の歩数が540歩くらいだった、と言うのを知ったことがあります。歩くことは健康に繋がります。そして、公共交通で辿り着きやすい場所に行ってみてください。そう、それが「まちなか」なんです。
総曲輪を歩くときに、「総曲輪バス停」(国道41号・城址大通り)を見て回ることや、実際にバスを使うことがあります。最近は本数が減って困りはしましたが、難病を四つ抱えている僕にとっては公共交通は命綱そのものです。乗車する人は、高齢者や、通学者(まちなかに遊びに来た人でしょう)、中には小学生、そして旅行や出張などで富山に来た、と言う人も。
活動の中で、あることに気づき、富山地方鉄道さんにお願いしたことがありました。それは、「総曲輪10番」の乗り場より「総曲輪9番」の乗り場を使うように促す、矢印をつけた告知のチラシみたいのを10番乗り場につけてくれませんか?ということでした。そして、そこはさすがの富山地方鉄道さん。一週間もたたないうちに対応していただけました。本当にありがとうございました。

10番乗り場があるのは人気ビジネスホテル「ドーミーイン」の目の前。だからスーツケース抱えた人がチェックアウト時に多く出てくる。もちろん旅行者もいます。
しかし、10番乗り場のバスは富山駅を通って更にそれより先に行くバスバスのみが停まり、本数は非常に少ない。
であれば、すぐ横にある9番乗り場に回ってもらった方が「富山駅」までは行きやすいことを、バスを待つ人に知ってもらった方が、「地鉄のバスって便利だ!」となるので、このお願いをさせていただきました。
そして、公共交通は裏切りません。時間を守れるし、乗車中は運転操作しなくていいし(スマホ見ても景色見てもOK)、歩くことも多くなるし、いちいち駐車場を気にかけなくていい。裏切るのは「クルマ」のほうです。
もうそろそろ、自家用車ではない産業を育て上げ、そして自家用車の依存度を下げないと、街の前に地方が滅びる。そうなると、ますます車が手放せなくなる。「限界突破ドライバー」は量産され、そこは「便利な世界」ではなく「危険しかない世界」へと変わります。リスクが無い世界で、他のことに集中する時間を作ってみませんか。そして、公共交通で訪れやすい、モータリゼーションで廃れてしまったまちなかへでかけて、好循環を見つけましょう。
公共交通がよくわからない方のために
IKOIKOSOGAWAホームページ内の公共交通に関するページでは、バスや市電の乗車方法や運賃の支払い、ICカードのこと、注意事項や、富山市の65歳以上の方が所有でき、富山市内のバスや市電、鉄道線が1回100円で使用できる「お出かけ定期券」のことを述べています。ぜひ一度ご覧ください。
ぜひ一度、あの頃を思い出す、鉄道の「記憶」と「記録」をご覧になってみてください。
IKOIKOSOGAWA販売部門「アロープロダクツ」では、富山の懐かしい車両や、鉄道の溶け込む風景を撮影したダウンロード画像を販売しております。一度覗いていってみてください。以下の画像は、すべて富山県内で撮影しました。






➡アロープロダクツ カテゴリー:「富山県の鉄道写真」 (画像が多く出てきますので、通信量にご注意ください。ご自宅のWi-Fi環境下がベストです。)
もっと写真を探したい方には、「アロープロダクツ STORES支店」をお勧めします。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
