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昔の総曲輪あるある

富山の昔の総曲輪あるあるを個人の記憶から

現代の総曲輪界隈にはないような、昔はよくあった「総曲輪界隈あるある(トリビア)」を、総曲輪生まれ育ちの代表の記憶とともに紹介します。

なお、「総曲輪の歴史と変遷」につきましては、当方ホームページ内のこちらのページからご覧ください。

エレベーターガールがいた

「6階へ参ります」—こんなセリフを吐き、ひたすらエレベーターを操作するお姉さん。

デパートのエレベーターには、「エレベーターガール」と言って、エレベーターを操作したり、案内する若い女性・・・ガイドのような人がいました。昭和の好景気を象徴するような存在だったかもしれませんね。小さい頃、僕一人だけがエレベーターガールとエレベーターに乗って、上昇中に無言なのがなんとも気まずく感じましたね。その人たちも年齢が上昇し、「70歳で参ります(困っているという意味の)」と見えないところで不景気を象徴するような生活をしているかもしれないですね。

デパートの屋上に遊園地があった

デパートの屋上には、小さな遊園地がありましたね。広い階段を駆け上ると、小さい子が楽しいような乗り物がたくさんあって、親子連れがよく遊んでいるのを見たことがありましたね。僕が好きだったのは、階段の踊り場にあった、10円玉を入れて遊ぶマシン。レバーをはじいて、10円玉を飛ばすんです。このマシンは少しだけ後ろに傾いているのか、前に10円玉が落ちることはなく、その代わり、勢い弱く飛ばすと途中にある穴に10円が落ちていってしまうという「神経集中」型のゲームでした。もちろん、強い勢いでも駄目なんです・・・難しかったけど、10円をゴールに入れるとお菓子が出てくるのがなんとも楽しくうれしかったですね。

市内電車は「西町どまり」があった

総曲輪への移動に何と言っても便利なのがやはり「市内電車」。富山駅前方向からの電車で、「西町」行きがありましたね。生まれてそんなに経たない頃は、「市内電車」が平和通りを走っていましたね。あまり覚えてないのですが、不二越への方向の市内電車がありました。つまり、西町は交通の連接点だったということです。その平和通りを通る電車はどうやって車庫に行っていたのだろう?と今でも疑問です。

ふつうに「ゲームセンター」が点在していた

インベーダーゲームから、ストリートファイターII(以下、ストII)まで。時代とともに遊べるゲームは変わっていったものですが、気づけばゲームセンター(以下、ゲーセン)はなくなりましたね。中央通りの真ん中くらいにあるゲーセンには、小学校の頃みんなで行ったものです。当時は「ファミコン」から「スーパーファミコン(以下、スーファミ)」へ時代が移り、家庭でのゲームも楽しくなっていったものです。「ストII」は結局スーファミに移植され、家庭でも楽しめるようになりましたね。中央通りの長崎屋や、ユニーのゲーム売り場にはいつもスーファミとゲームソフトが並んでいましたね。僕らの世代である40代~50代前半はゲームとともに育ったという人も多いのではないでしょうか。

酔っ払いのオヤジやスケバンもいた

昼間っから飲んだくれて、雨上がりの水たまりに浸かりながら、「救急車呼べ~・・・サツは呼ぶな~」と繰り返す無様なオジサマもいましたね。小学生たちが、携帯電話もない時代にどうしろと・・・。今は当たり前ですが、むかし、総曲輪小学校では「変な人についていかない」ということをしつこく言われたものです。変な人と言えば、スケバン連中もいました。ロングスカートで、長髪のイカツイ不良女子高生集団。むかし、徳風幼稚園の「園長先生宅」がすぐ横にあった時は、壁があったのです。そこで連中が、一人の女子高生を集団リンチしていましたね。髪を引っ張り、壁に顔を動かせないようにし、一人ずつ殴ったり蹴ったりする。そして連中が市中引き回しに出ていくときに、「お姉ちゃんたちなにやってるの?」と聞いたんですね。すると「悪い人を退治してるんだよ!」と笑顔で言われたのは今でも覚えています。髪をつかまれていた女子高生は顔がアザだらけで青く変色していました。もう、そのオジサマも酒を飲まずリアルに昇天し、スケバンもスケババアくらいになっているでしょうね。

ビバ!クイズがあった

昔、北日本放送で子供たちがクイズ番組に挑戦する「ビバ!クイズ」という番組がありましたね。小学校でも話題になったことがあり、一人の生徒が出場したのでした。「タラッ、タラタラタラタラタラタラタラララッ」と言うシンキングタイムの音楽が頭に沁みついていますね。当時のテレビは、北日本放送がVHFで、富山テレビがUHFでしたね。小学校四年生くらいのときに、総曲輪小学校のグラウンドで「チューリップテレビ開局」イベントをやっていましたね。白いノートの真ん中に、チューリップテレビのロゴが入ったノートをたくさんもらいました。でも、見るのは大体他局の「クイズ!世界はSHOW By ショーバイ!」か、「マジカル頭脳パワー!」ばかりでした。昔から富山の民放を盛り上げていたのが、北日本放送だったのは考えずともわかります。

愛児堂がメッカだった

一番町交差点の近くにあった「愛児堂」は、遊びのメッカでした。当時、100円玉を入れると特定のゲームを遊べたのです。「高橋名人の冒険島」でしたね。でも、時間が来るとブツッと画面が消えてしまうんですね。そこで大量に100円を持ってきて、遊びまくったこともありました。すると、総曲輪通りのある店舗の後輩から、「どうしてそんなにお金があるの?」と言われたのは今でも覚えています。その後輩は、総曲輪小学校の清掃時間の、僕が玄関清掃担当だった時に、上級生に毎日デコピンをされていました。もちろん、内部通報などしません。

映画館が多かった

当時の娯楽の一つは「映画館」でしたね。映画館は本当に多かった。昭和初期から、映画は映像を見られる「楽しみ」そのものだったのでしょう、総曲輪には数多くの映画館があったといいます。僕が生まれたころも、今のドーミーインの場所、一番町教会の付近、グランド通り、中央通りの方向にもありましたね。初めて見たのは、「忠犬ハチ公物語」・・・今思えば、映画館で見たことあるのはそれと、「ホワイトアウト」「コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命」位ですけど、映画館ってなんで泣いてしまうんでしょうね。あと、思い出しました。「ドラえもん」の映画だったと思うのですが、アニメの映画で、「アナグリフ3D」の映画を見ましたね。左右が緑と赤のフィルムがなされたメガネで、映画を見ると、モノが飛んでくるように見える。懐かしいです。

スクランブル交差点があった

西町交差点と、その横、ユニーの斜め前あたりはスクランブル交差点でしたね。西町交差点のユニー側に、大きな赤色の時計が登場しました。その下で、カップ麺ばかり売っている自販機があって、購入後にお湯を注げて、はしを取り出して食べられるのです。ある日、小学校のみんなでそこにいくと、浮浪者みたいなおじさんがカップ麺を食べていました。そのおじさん曰く、「自販機で買わずにユニーで安く買った方がいいだろ?」と。総曲輪や城址公園のあたりには、確かに浮浪者がいて、日本国憲法が適用されていないような人も多かったですね。あと、親がクルマを運転するとき、西町交差点を西武方向に曲がるのですが、当時は赤信号後の右折専用信号(緑の矢印)が無くて大変でしたね。

城址公園には大量の鳩がいた

昔の城址公園では、鳩さんにパンを与えていたことがよくありましたね。後輩の喫茶店で出る、パンの耳。これを廃棄処分せずに勝手にもらっては城址公園でばらまいていました。多くいたのは、公園への入り口、お濠がある側でしたね。そういえば、屋外公会堂みたいのもありましたね。あそこで遊んだり、松川沿いのたくさんある遊具でも遊んでいましたね。今は見かけませんが、「ジャングルジム」が好きでしたね。鉄棒も連続逆上がりが楽しかったですし、ブランコからのジャンプも楽しかったですね。総曲輪小学校の遊具でも、それはよく遊んだものです。ある日、小学5年生くらいだったでしょうか、今の富山県警本部の松川を挟んだ向かいに、川のすぐ横まで行ける岩場ができたのです。そこで遊んでいたら、立川志の輔師匠と何名かのおば様方が。何やら話を延々としだし、最後に「それにしても、何なんですかあの子供たちは!」と志の輔師匠に言われたことをよく覚えています。

百貨店は何でも揃えていた

昔の百貨店は何でも揃えていましたね。食品や衣類、日用品、家電からおもちゃ、書籍やステーショナリーまで、いろいろあったものです。高層フロアには必ずレストランがありましたね。これ(高層フロアにレストランがある)は今も、全国ほとんどの百貨店で存在するみたいですね。懐かしいのは、富山西武のおもちゃ売り場で「プラレール」を買ってもらった時のこと。兄がラジコンを買ってもらっては家で遊んでいるのを見て、僕も欲しくなり、一緒に西武のおもちゃ売り場へプラレールの返品と、ラジコンの購入に行ったものでした。そのあたりの時期、「ミニ四駆」と言うのが流行りまして。西武の広場で「じゃんけんに買ったらミニ四駆プレゼント!」という、無料大放出イベントをやっていましたね。しかし、一度じゃんけんに負けても再チャレンジできることや、終了の時間が近づいてきたら「もらえなかった人みんなあげるね!」と結局来たみんながもらっていくという、今考えると不気味なイベントだったのでした。

ロッテリアVSマクドナルド

いま、ロッテリアはすべて「ゼッテリア」という名前になったそうですが、昔は「富山西武1階」にロッテリアが、道路を挟んだ向かい、中央通りの角に「マクドナルド」がありましたね。時々外食をするのは「ロッテリア」で、広場のテラス席?にいると、ポテトを目指して鳩さんが近づいてくるのです。ポテトをちぎってあげてみると、数羽近寄ってくる。で、自分は少ししか食べない、ということが多かったですね。近所の後輩と書道の教室に行った帰りは、マクドナルドによく行ったものです。その時から、てりやきマックバーガーが好きになりましたね。昔は包み紙ではなく、プラスチックのパックに入っていましたね。

最後に

「ファミコン」や「ロッテリア」、「エレベーターガール」の時代は、土日の総曲輪通りの人通りは今では信じられないくらい多かったですね。当時は何も知らないから、それがただただ当たり前と思っていましたが・・・。40代半ばになり、総曲輪の街を歩くと、懐かしいよりも「新しい」を強く感じますね。この話を聞いて、「時代って、変わっていくんだよなぁ・・・」と、堀内孝雄の「続・竹とんぼ ー青春(ゆめ)のしっぽー」を歌いたくなりますね。「俺も、お前も流れ星じゃない」。人生って、生きてきた経験と、その先何をするべきか、が大事なのだと、この文章を記して感じましたね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

総曲輪界隈ボランティアチームIKOIKOSOGAWA(イコイコソーガワ)のメニューから、「総曲輪の歴史と変遷」を記したページがあります。そちらもよろしければ、ご覧になってください。

➡総曲輪の歴史と変遷 地元生まれの私が語る「昔と今の総曲輪」

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