清掃活動は大変だが心地良い!
総曲輪界隈の様々なところに落ちている「ごみ」。これを拾い続けると肩や腕、特に腰が痛くなりますが、「今日はこれで終わり!」という時に、痛みを通り越した「心の爽快感」が堪(たま)らないんですよね。どうして心地よくなるのか?をお話します。
もともと、清掃活動のボランティアに従事していた
実は、IKOIKOSOGAWAの代表である僕は、総曲輪界隈でボランティアを始める前、「ボランティアの勉強」として、富山県をもっと活力あるようにしているボランティア団体「まるごとTOYAMA」の「富山応援隊」(小堀友嗣代表)にて清掃活動に参加していました。
➡「富山応援隊」ホームページ(富山の皆さんも是非参加してください!)
僕には複数の難病があるため、あまり上手に体を動かせませんので、「清掃自体」ではなく、「活動の様子を撮影するカメラマン」として参加していました。ゆえに、現在の活動に「イベントの様子撮影」があるのですが、今回は「清掃活動」がなぜ「心地良い」のかを、「富山応援隊」の頃からの活動を含め、お話したいと思います。
清掃活動が心地よいのは誰だってわかる
そもそも、なぜ清掃活動をするのか?答えは簡単で、誰かが何かを捨てていくからです。それが一切無ければ、清掃活動なんて必要がありませんよね。誰かが捨てても、拾うのは他人。その「他人」にならないと、つまりは人任せではいけない、というのが清掃活動の肝です。
自宅なら、自分の部屋なら、進んで清掃する。自分の会社でも、担当のところだけ清掃する。つまり、「清掃」というのは「当たり前」の行動なんです。でも皆さんも気づくと思います。掃除が終わったら、「あぁ~キレイになった!」と。
その「人任せではいけない」を自分たちが行ったら、自分たちが清掃活動したら、「あぁ~キレイになった!」は、当然ついてくるものなんです。
心地良さを感じる瞬間がある
「富山応援隊」に参加し勉強していた時から必ず思うのは、「活動時間終了」の際に、多数のごみが集まるところを見て「今日は大漁(たいりょう)だ」ということです。
「大量」ではありません。「大漁」です。
漁業の従事者に怒られるかもしれない表現ですが、ごみは勝手に集まるものでは無く、かつ気が付けば大量にある。漁業だってそうですよね。自分たちで漁に出ない限りは、「大漁」とは言えません。そして、魚が勝手に「さぁ獲ってください」と言うわけでもないです。
「自分たちで労力を使って集めた」。だからその表現をします。終了時に集まるごみの量と言うのは、内容によってはバラバラですが、「富山応援隊」で海岸清掃を行った際は、タバコのすいがら、空きペットボトル(マイクロプラスチック発生のかなりの要因です)、発泡スチロール、タイヤやら注射器やら・・・いろいろ集まりますが、「こんなにあるとは!」と、誰もが感じます。その瞬間こそが「心地良さを感じる」瞬間なのです。
まちなかの清掃活動でもそれを感じられる
先程は海岸のごみ事情をお話しましたが、「まちなか(総曲輪界隈)」にもごみは多数あります。空き缶や空きペットボトル、傘、酒瓶、コンビニのおにぎりの包装やコーヒーの紙コップ、レシート、特に多いのは「タバコの吸い殻」です。画像をお見せします。

総曲輪通りだけを歩いていると気づかないかもしれませんし、下を見ないで歩くと気づかないかもしれませんが、かなり多くのタバコの吸い殻が落ちています。
正確には、「落ちている」ではなく、「誰かが捨てていった」です。
どうせ、捨てるのは自分の家に捨てていかれたら文句しか言わない人たちでしょうから、何も言わないですが、それでも人に文句を言わずに拾い続ける理由、というのがあります。それは後程お話します。
長い時は3時間ほど活動エリア内にて拾いますが、他のごみを含めて集まったごみを見ると「今日も大漁だ!」と心地よくなるんです。それは、捨てる人が多ければ、捨てる量が多ければ、その分そう感じますね。
拾ってキレイにするのではなく、キレイだから捨てさせなくさせる
「ブロークンウインドウ理論(割れ窓理論)」をご存知でしょうか。
どこかで「ガラスが割られている」のを想像してみてください。車でも、ビルでもいいです。それを数日後に見たら、まだ割れていたとします。その時に「何故直されてないんだろう?」と思うはずです。しかし、犯罪者は「ガラスが割れたままだから人の気配はない」と察し、そこからどんどん窓ガラスが破られる、それは車上荒らしか、はたまた住宅への窃盗・強盗かわかりませんが、そういうことに繋がるわけです。これが「ブロークンウインドウ理論」です。
これは、割れた窓でなくても同じです。スプレーでの落書きであったり、ごみのポイ捨てでもそうです。スプレーでの落書きは個人の所有地・所有物にされるので他人が消すのは難しいのですが(通報や相談はできます。知っている人に聞いたら、自治体が落書き消去に対しての費用一部負担をしてくれるのだそうですが、個人で何万円も出さなくてはいけないそうです。)、ごみであれば拾えます。
「ごみを拾う」、確かに想像はしやすいと思います。しかし実際に行いたいのは「ごみが無いから、ポイ捨てをさせない」ということです。皆さんはポイ捨てなんてしないと思いますが(だって自宅の前に捨てられたら嫌ですもんね)、「キレイだから捨ててはいけない」「キレイだから捨てるのは恥ずかしい」ということをしたいのです。ごみを拾う以前の根本的な問題、それを解決したほうが「大漁」を経験する必要なんてないのが実際のところです。
心地良い、の前にわかること
「ごみをポイ捨てさせないために、ごみを拾う。」ここまでそう述べてきましたが、「ポイ」ではない捨て方があります。それは「隠す」です。人間、都合の良いことはすべて「隠す」ということをします。わかりやすいのは「ウソ」をつく、ということです。ほかにも「へそくり」なんてのもそうですね。バレると都合が悪くなりますからね。

あっさり「ポイ捨て」するのが恥ずかしいのか、それが都合悪いのか、「国道や大通り沿い」の茂みの中に隠していく連中もいるんです。それはたいてい大きなもの。小さくてたばこの箱といった所です。傘、酒の空き瓶、空き缶・・・
隠したほうが都合がいいのかもしれませんが、持って帰ってもらうのがこちらとしては都合がいいんですけどね・・・。
なので、「拾う」には「探す」の要素も含まれます。
そして「傘」は、まだ使えるコンビニや100円ショップで売られているビニールの傘ばかり。「晴れているから傘は邪魔になる」という「都合」で捨てられていきます。
結局ごみと言うのは「人間の好都合が完全終了したもの」なんですね。さらに都合よくするために「隠す」ということまでするのが人間だとよくわかりますよ。
「腰痛」は闘いの末勝利した証
ごみのほとんどは背中を曲げて腕を伸ばしてトングで取りますが、それを何度も行っていると襲ってくるのが「腰痛」です。運動していないと起こりやすいですね。これは想像つく方もいらっしゃるでしょうし、実際にごみ拾いを行ってそうなったという方も多いでしょう。
でもそれは「勝利の証」です。
なぜなら、「そうなるまで頑張ったから」です。タバコの吸い殻一本拾ったくらいではならないかもですが、「大漁」を目指した人には腰痛は発生するでしょう。しかし、先ほど申した「心地良さ」の方が勝ります。
「腰痛が発生した」から「心地良さを感じる」のであって、その心地良さを得られたことは「勝利」そのものです。
その「勝利」の積み重ねが「本当の勝利」に繋がります。
遠い先かもしれないし、訪れないかもしれませんが、それを信じて清掃活動を行うのが僕の信念です。

こういうのが所々にあって、腰を曲げ続けると腰痛になりやすいので注意が必要ですね!
ご覧頂きありがとうございました。みなさまも、IKOIKOSOGAWAで清掃活動してみませんか?きれいにするのも大事ですが、そのやり方や精神を知ってもらうのを大事にしています。
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